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2006年8月 8日 (火)

日米安保(その2)

旧安保条約=対米従属の発端

 

 国家の将来のありようを決める重要な日米安全保障条約が、「すべての責任は自分が負う」という、吉田茂首相ひとりの署名によって講和条約調印当日、署名成立しました。しかもその内容は独立国としては到底容認できないものでした。

前文には「日本国は武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。・・・・日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及び付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」「アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意志がある。」これを受けて「第一条[駐留軍の使用目的]平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」とあります。

独立国家としては国際通念として考えられない外国軍の駐留を認め、あまつさえ内乱状況の際に外国軍の干渉を依頼する信じがたい卑屈な条約です。その後の日本政府の対米従属の発端となったのです。

 

 アメリカは講和後も占領期と同様に、日本の「全土基地化」の権利を如何にすれば獲得できるかが最大の課題でした。東西冷戦の高まる中、在日米軍基地は「極東防衛」のためばかりでなく、「ヨーロッパで戦争が勃発する際の対ソ攻撃作戦の拠点として位置づけられていました。政府高官の言う「アメリカの安全を維持する死活的な資産である。」のです。

 講和使節団のダレスが東京会談に臨むにあたって、最大の悩みは恐らく易々とは承服しないであろう米軍基地の存続を認めさせることにあったといいます。そのためにマッカーサーには交渉のための手段や日本側の助けになる人選を相談したということです。ところが意外にも事態は予想もしない結果になりました。日米安保条約が如実に示すように、攻守逆転し少々の米側に不利益があっても、一部でも日本に米軍基地を残す積りだったのが、日本に懇願されて米軍基地をおいてやろうということになったのです。  その経緯は次に書きます。

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