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2006年8月 6日 (日)

日米安保(その1)

日米安保解消=日本が生き残る道(1)

 10年前、都留重人「日米安保解消への道」が、国の進路を過たないために、いま何をなすべきか。として“緊急出版”されました。95年9月に起きた沖縄在駐の三人の米兵による少女暴行事件にたいする激しい全国的な憤りに端を発した、沖縄問題に、それまでに書かれてきた日米安保問題に新しい情報を加えて出版された。その明快な論理と該博な国際情勢による分析は現在の北朝鮮問題まで予測した必読の書です。残念ながら彼が望んだ沖縄問題の解決は前進せず、日本政府は日米安保の解消どころか対米従属の戦争への道を進めています。

政治家の大多数も、いわゆる「識者」も、また若者の多くも日米安保が日本を守っていると考えています。メディアの論調も殆どその様に見受けられます。

60年安保闘争を経験した年代はいまどのように見ているのでしょうか。安保闘争を知らない世代に日米安保とは何かを書くのも意味があるのではと思います。

1951年、全面講和を求める運動の高まりをよそに、アメリカ政府は単独で講和条約草案を作成しダレスは同盟国を回って支持を取り付け、9月8日、サンフランシスコのオペラハウスで49カ国の調印をもってサンフランシスコ講和条約が成立しました。

当日(9月8日)午後5時8分、サンフランシスコ市のはずれ、第6兵団駐屯地プレジディオの下士官兵士用クラブ(なんというお粗末)で日米安全保障条約が署名されました。

署名日、場所が指定されたのは前夜11時近くであったといいます。本来条約は対等の国家同士がそれぞれの国会の承認を経て結ぶべきものである筈です。しかるに講和条約成立の数時間後に、条文はいっさい国民に知らせず、しかも署名には数名の政府要人が立ち会うはずであるのに、なぜか芦田氏は拒否し、吉田茂ひとりが署名した。その内容も秘密にされ密室の中での署名でした。

ときあたかも朝鮮戦争が勃発し、その危機的状況をカードに有利な条件が付けられた筈なのに、外交のベテランと言われる吉田茂が、基地提供などのいまに至るも極めて不利な条件を許したのでしょうか。これは誰よりも忠臣、吉田茂の心情があったと推測されます。    (次回に続きます。)

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 毎年8月がくると、敗戦直後の、あの厳しい食糧難の時代が思い出されます。当時の新 [続きを読む]

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