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2006年11月25日 (土)

イランの核開発問題(2)

イランの核開発については国際原子力機関(IAEA)が8月31日に公表した報告書について書きました。報告はイランが164基の超遠心分離器からなるカスケードによってウラン235が5%以下の濃縮ウランを26トン作成したこと、さらに164基のもう一組の超遠心分離器のカスケードを予定していることも明らかにしたこと、しかし核兵器開発を目指している証拠はなかったというものでした。

 その後IAEAは11月14日に報告書でイランがウラン濃縮を進めていることを指摘するとともに、IAEAによる査察に対する協力が不十分であると結論付けました。これは8月31日に国連安保理に提出した報告書以降の動きをまとめたもので、時事通信社によると二つ目のウラン濃縮のための遠心分離機164基の設置を終わり、

10月13日に濃縮ウランの原料となる六フッ化ウランの注入実験が始まり、8月13日から11月2日までの間に注入された六フッ化ウランは計約34キロに上り、5%未満の低濃縮ウランが製造されたといいます。

 またアハマディネジャド大統領は14日の記者会見で、長期的にはウラン濃縮のための遠心分離機6万機の稼動を目指す方針を示しました。(赤旗11月16日)

 こうなると核兵器開発を目指しているといわれてもおかしくないでしょう。これは北朝鮮の核実験が核開発指向を助長したかもしれません。核拡散を防止しようとする多数の非同盟諸国と共に北朝鮮の暴挙に対し抗議すべきです。

しかし一方非核国に対しても核先制攻撃を戦略とする米国は、1万発を越える核弾頭が使用期限がなくなるにつれて、それを補う新型の小型高性能の核を開発することを公然と表明しています。核拡散防止条約を無視する横暴きわまる米国に対してもより強い抗議の声を上げるべきでしょう。

まして世界で唯一原爆を投下された日本が、核武装問題を議論すると内閣の要職者が言うに及んでは唖然として言葉を失います。

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2006年11月 1日 (水)

北朝鮮の核実験(3)

 細川首相の侵略戦争認識に反対し、確証された慰安婦問題、南京虐殺も後世の歴史判断に委ねるとする首相は、いまは選挙を前になりを潜めていますが、「核武装も憲法違反にならない」と公言したこともある「戦争嗜好」政策を進めようとする政治家です。今回の核実験は北朝鮮を仮想敵国として敵視政策を実行するための首相就任への格好の「贈り物」となりました。国際的にも突出して単独の制裁を加えることにしました。冷戦時にはソ連、ついで中国と仮想敵国が変わってゆき、いま北朝鮮が対象になっています。過去の経過をみながら考えて見たいと思います。

 1998年、北朝鮮がミサイルを発射し、しかも日本上空を越えたというので、日本政府は異常と思える過剰反応をし、これに乗ったマスメディア報道は国民に恐怖と朝鮮への憎悪を駆り立てました。テポドンと称したミサイルは人工衛星打ち上げを目指したものであったが失敗したことが分りました。それについては1998年11月17日長崎平和研究所・長崎平和文化研究所主催で開かれた「核不拡散・廃絶への道を探る」緊急公開シンポジウムのなかの報告(2)「朝鮮ミサイル問題とアジアの安全保障」で論じています。[長崎平和研究第6号(1999年3月)所載]

そのなかで述べていますが、国際危機管理の重要な基本は「相手の立場に立って考える」ということを米国の指導者は教育されるといいます。それにならって冷静に北朝鮮の立場で考えてみることにします。朝鮮戦争(1950~53年)が休戦になって米軍は1958年1月、核兵器を韓国に配備しました。1967年には最大で8種類、約980発の核弾頭数に達しました。1980年半ばには、8インチと155ミリ核砲弾および核爆弾を約150発まで減らしましたが、毎年北朝鮮の目の前の日本海で米韓共同の軍事演習を繰り返し、また日本海で米空母キティホ-クと日本海上自衛隊の日米共同統合演習も行っています(1998年)。これらの核威嚇や毎年繰り替えされる北朝鮮を攻撃目標とする軍事演習がどれ程の脅威を与えてきたかわれわれは考えたことがあったでしょうか。米国の核による威嚇が金日成をして核を持って抑止する決意を固めさせたことは容易に推察できます。それは金正日に引き継がれ総力を傾注し、「枠組み合意」に反しても密かに開発が続けられて来たと想われます。

 誤解の無いように書きますが、核抑止論はもはや破綻しています。核競争を引き起こし、やがては恐るべき核の被害をもたらすことになります。核廃絶以外道はないのです。したがって北朝鮮の核開発を容認することはできません。

しかるに核実験を行ったことに対して、日本政府の要職にある者が日本も核武装を論じることが必要だという発言には唖然とするとともに、絶対に認めることは出来ません。

米国は日本より中国を東アジアでの主要な地位を占める国とみなしています。日本の国際的な孤立はこのような対応では深まるばかりでしょう。

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