2007年5月20日 (日)

ロシアの核

 表紙の終末時計で知られる原子科学者会報(Bulletin of the Atomic Scienntists)には毎号巻末に数ページのNuclear Notebookの項目が掲載され世界の核兵器関連資料を見ることが出来ます。新しい信頼できる資料と言われています。その最新号 3/4月号(2007)に「ロシアの核兵力、2007」があるので、一部紹介します。

戦略核兵力

 大陸間弾道ミサイル(ICBM)

 Type  Name Launchers Year deployed Warheadsxyield(kilotons) Total Warheads

ss-18  Satan      80     1979     10x550/750(MIRV)      800

ss-19  Stiletto    126     1980      6x550/750(MIRV)      756

ss-25  Sickle     242     1985         1x550               242

ss-27  Topol-M   42      1997         1x550        42

ss-27A Topol-M1  3      2006         1x550(?)               3

         493                                                   1,843

 潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)

ss-N-18 M-1   5/80    1978      3 X200(MIRV)        240

ss-N-23           6/96    1986      4X 100(MIRV)       284

                   11/176                                     624

爆撃機       78                      872

配備核弾頭数、総計~3,339

 このほかに戦術核約2、330、また配備からはずされたり、分解されている弾頭が約9,300あるのでここれをいれて約15,000発と推定されています。

プーティンは核兵力は敵対国とのバランスを考慮するが、それは核兵器や弾頭の数より、質が重要だという。ロシアは戦略核弾頭数を2007年の3、339から、2012年には2,053、2020年1726に削減する計画だと言います。

 しかし2006年12月に実戦配備した3基の大陸間弾道ミサイルTopol M1sを廃棄するss-25と取り替え、2015年には50基にするといいます。

 それではTopol- M1sはどのような性能のものでしょうか。ロシアは地下に発射基地を持つアメリカとちがって、軌道上を移動できる列車に主力を置いてきました。Topol-M 1sはさらに改良したもので、主に森林地帯の10平方キロメートルを移動できるのみならず、新しい偽装法によって、上空から探知することは不可能だといいます。

  核不拡散条約に違反して核開発するのは、アメリカがポーランドとチェコにミサイル防衛(MID)のレーダーと迎撃基地をおく企画をしているからだと言います。ミサイル迎撃は大気圏(地上から約80キロメートル)までほぼ鉛直に上昇するブースト段階が速度が遅いので最も重要です。弾頭をレーザーやミサイルで破壊するのには発射地点に近いほど有利です。アメリカが意図するポーランドやチェコにMID基地が置かれれば、ロシアの重要なヨーロッパ域のICBM発射基地をカバーし、核兵力のバランスを害うという懸念から、その対抗措置として、発射地点が特定できず急速に移動できるTopol-M1を開発増強するというのが 

がロシアの言い分です。

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2006年12月28日 (木)

ポロニウム毒殺事件の謎

 11月23日、元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐アレクサンドル・リトビネンコ氏が毒を盛られた疑いでロンドン市内の病院で死亡しました。毒物はポロニウムと言う普通には聞きなれない放射性物質といわれています。FSBは旧ソ連の秘密警察として恐れられていたKGBの後継機関で事件を巡っていろいろな報道がなされています。

 しかしわたしの知る限りではポロニウムが核爆弾の爆発の連鎖反応を惹き起こす重要な物質であることについての報道は見ないので書くことにしました。

 ポロニウム210は1898年、キュリー夫妻によってラジウムと共に発見されたアルフア線を出す放射性元素で、半減期138,4日です。砲弾型のウラン爆弾でも、爆縮型プルトニウム爆弾でも臨界に達して連鎖反応によって爆発するのです。前者はウランを臨界質量以下に2分割して砲弾型の筒の両端におかれています。爆発時には一端の置かれたウランを爆薬で他方のウランに撃ち込んで、臨界質量を越える方式です。後者は空洞を持った球状のプルトニウムをその周りに配置された複雑な構造の爆薬で圧縮して臨界にもってゆきます。

 連鎖反応は百万分の一秒という短時間で広がります。分裂が始ってその一部の爆発によって分裂しないままウランやプルトニウムが飛散するのをどのようにして防ぐかは難しい技術が要求されます。プルトニウム爆弾ではプルトニウムの周囲には飛び散るのを抑えるためのタンパーとして重いウラン238が覆うています。またプルトニウム爆弾の場合プルトニウム240という自発核分裂する同位元素が含まれるため早期爆発という一層難しい問題があります。

 これらの問題の解決の一つに臨界に達する寸前に中性子を発生して連鎖反応をスタートさせるイニシエイターと呼ぶ装置があります。ポロニウム210を薄いアルミ箔で密封してその周囲をベリリウムで覆います。ベリリウムはアルフア粒子が当たると中性子を発生します。しかし普段はポロニウムのアルフア粒子はアルミ箔を透過することは出来ません。砲弾型ではウランを合併させた衝撃で、爆縮型では爆縮によってアルミ箔が破れて中性子が発生するという仕掛けです。

 ポロニウムが核兵器に使用される重要な物質で、これを手に入れることが通常出来ないので、背景にはある大きな組織が関与していると思われます。

 さらに奇怪なことはすし屋やいろいろな場所で検出されたと言う報道です。恐らく犯人はミリグラム単位の微量を所有していたであろうと思えるのになぜだろうか?この報道が正しいとすると、ポロニウムが昇華性の金属であることから、密封容器を開いた場所で昇華したポロニウムが検出されたのではないか。これは私の推測です。

 主題からそれますが、ひとつ付け加えると核爆弾にも「賞味期限」があって絶えず一部更新しなければならないのです。半減期12年のトリチュウムもそうですが、半減期138,4日のポロニウムはより頻繁に更新しなければなりません。そのためプルトニウム球は半分に分離できるように作られ、その中心の空間にポロニウムやベリリウムが配置されていると思われます。

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2006年11月 1日 (水)

北朝鮮の核実験(3)

 細川首相の侵略戦争認識に反対し、確証された慰安婦問題、南京虐殺も後世の歴史判断に委ねるとする首相は、いまは選挙を前になりを潜めていますが、「核武装も憲法違反にならない」と公言したこともある「戦争嗜好」政策を進めようとする政治家です。今回の核実験は北朝鮮を仮想敵国として敵視政策を実行するための首相就任への格好の「贈り物」となりました。国際的にも突出して単独の制裁を加えることにしました。冷戦時にはソ連、ついで中国と仮想敵国が変わってゆき、いま北朝鮮が対象になっています。過去の経過をみながら考えて見たいと思います。

 1998年、北朝鮮がミサイルを発射し、しかも日本上空を越えたというので、日本政府は異常と思える過剰反応をし、これに乗ったマスメディア報道は国民に恐怖と朝鮮への憎悪を駆り立てました。テポドンと称したミサイルは人工衛星打ち上げを目指したものであったが失敗したことが分りました。それについては1998年11月17日長崎平和研究所・長崎平和文化研究所主催で開かれた「核不拡散・廃絶への道を探る」緊急公開シンポジウムのなかの報告(2)「朝鮮ミサイル問題とアジアの安全保障」で論じています。[長崎平和研究第6号(1999年3月)所載]

そのなかで述べていますが、国際危機管理の重要な基本は「相手の立場に立って考える」ということを米国の指導者は教育されるといいます。それにならって冷静に北朝鮮の立場で考えてみることにします。朝鮮戦争(1950~53年)が休戦になって米軍は1958年1月、核兵器を韓国に配備しました。1967年には最大で8種類、約980発の核弾頭数に達しました。1980年半ばには、8インチと155ミリ核砲弾および核爆弾を約150発まで減らしましたが、毎年北朝鮮の目の前の日本海で米韓共同の軍事演習を繰り返し、また日本海で米空母キティホ-クと日本海上自衛隊の日米共同統合演習も行っています(1998年)。これらの核威嚇や毎年繰り替えされる北朝鮮を攻撃目標とする軍事演習がどれ程の脅威を与えてきたかわれわれは考えたことがあったでしょうか。米国の核による威嚇が金日成をして核を持って抑止する決意を固めさせたことは容易に推察できます。それは金正日に引き継がれ総力を傾注し、「枠組み合意」に反しても密かに開発が続けられて来たと想われます。

 誤解の無いように書きますが、核抑止論はもはや破綻しています。核競争を引き起こし、やがては恐るべき核の被害をもたらすことになります。核廃絶以外道はないのです。したがって北朝鮮の核開発を容認することはできません。

しかるに核実験を行ったことに対して、日本政府の要職にある者が日本も核武装を論じることが必要だという発言には唖然とするとともに、絶対に認めることは出来ません。

米国は日本より中国を東アジアでの主要な地位を占める国とみなしています。日本の国際的な孤立はこのような対応では深まるばかりでしょう。

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2006年10月11日 (水)

北朝鮮の核実験

 体調がいまひとつのため「核々しかじか」は22日以来休んでいますが、核実験を行ったとなると書かなければと思います。専門家も含めて北朝鮮がプルトニウムを数十キロ~数トンは所有し、プルトニウム原爆を数個は作製したと推測している人が多くなっていました。しかしプルトニウム原爆は爆縮技術が難しく、かりに作製したとしてもミサイルで運搬できるような小型化のものはないだろう。しかも一回の実験も行わず原爆として完成したとは言えない。というのが大方の意見でした。アメリカの長崎型原爆もネバダの実験場で最初の核実験を行いました。その際も開発当事者は成功は5分5分だと考えていました。

  今回の北朝鮮の核実験をどのように見るのか、まだ情報が不足しているなかで言えることは、爆縮技術を持っていることが明らかになったことです。長崎の原爆はTNT火薬にして21キロトンに相当する爆発力でしたが、地震波の観測ではTNT

500~3000トンの爆発という。これを実験の失敗とみるのか、小型化に成功したと見るのか意見の分かれるところでしょうが、恐らくは不明のままになりそうです。(わたしは爆縮の構造から失敗とは思えない。)しかし後者であればミサイル・ノドンへの搭載という日本にとってはもっとも脅威的なことになります。ノドンの搭載重量は約1,2トン、今回の実験、さらに今後の実験によって小型軽量化に向け北朝鮮は総力を結集することでしょう。

  今回の実験が核拡散防止条約(NPT)の崩壊、ドミノ現象的な小国の核保有、テロ組織への核漏洩など国際てきな平和・安全を脅かす深刻な事態である事はいうまでもないことです。

しかしアメリカは8月30日23回目の未臨界実験を行っている。このように核保有国とくに米国がNPT条約の核廃棄への努力の約束を無視してきた。ならず者国家と敵視するブッシュの尻馬に乗って北朝鮮を敵視する一連の日本の益々右傾化する「戦争嗜好」政策。一方で核廃絶と軍事力によらぬ対話による紛争解決を目指す、49カ国からなる非同盟諸国の呼びかけに応じていません。

この実験をアメリカ一辺倒から、極東アジアの一員としての外交路線に切り替える契機にすべきだと思います。

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2006年9月22日 (金)

北朝鮮のミサイル(2)

 北朝鮮のミサイルの技術はどのようなものか、米国の「憂慮する科学者同盟」のミサイル問題の専門家の物理学者デイビッド・ライトが米国の専門家28人からなる「米国の朝鮮政策に関するタスク・フォース」に提出した論文から一部引用すると、スカッドミサイルは500kgの搭載物を載せた場合、射程500-600km、十分実験が行われていて、他の国々に多数売却されている。配備している射程の最も長いミサイルはノドンで、搭載物の重量が約700kgの場合、1300km で日本全土を標的にすることができる。スカッドより大きくて強力なエンジンを使っている。外国の援助を得て開発されたと考えられる。この2種のミサイルが日本にとって重要ですが、米国にとっては長距離ミサイルのテポドンが問題です。日本にとっては全く脅威では無いにも拘らず問題にされるのはミサイル防衛システムに財政面で日本を巻き込むためです。青森県車力に知らぬ間にXバンドレーダーが設置され(ホノルル目標に備える)、さらに南部にも設置する計画がある(グアム目標に備える)といわれます。

 前述のデイビッド・ライトは米国の立場で書いているのですが、テポドンの性能については当面脅威ではないとしています。1998年の最初の実験では第三段階で失敗したがこの段階で固体燃料を使ったことを注目しています。しかしさらに実験をしなければ実用レベルにあるとみなすことはできないとしています。またテポドン2は未だ一度も飛翔実験がなされていないが(論文の書かれた時点)、これまで製造・実験してきたテポドン1より相当大きく、最大直径は2倍近く、体積は3倍となり、推進力も大きくなる。その結果、ミサイルにかかる応力はこれまでのミサイルよりも厳しいものになる。また第一段階部分で4つのエンジンを束ねて使う方法を初めてとると推測される。これはミサイルの複雑さをますことになる。 テポドン2が持つことになる射程を得るには第三段階が必要だが、これまで第三段階の打ち上げには成功していない。(デイビッド・ライト)

今回の3発目のテポドン2と推測される発射実験は発射直後の30-35秒後に、先端の覆いや他の物体が剥離し落下した。それを契機に異常が連鎖し、45-52秒後の間にミサイルからのテレメーター信号が途絶えた。これは第一段ロケットの動作期間であり、最高高度は10.4km ,水平到達距離は長く見積もっても8.4km程度で防衛庁の発表や報道は誤りで落下地点は陸地すれすれの海岸の可能性が高いと言われます。ミサイルは真東に40.5度の人工衛星にふさわしい発射角度だったことから、内陸地域に落下したと推定されると米国は分析しています。(核兵器・核実験モニター)

  ライトの論文は北朝鮮は長距離ミサイルの大気圏再突入熱シールドの飛翔実験を行っていない。弾頭の運搬用ミサイルにはこの実験が欠かせない。これらの不確かさのため、テポドン2の初期実験が成功すると推定する根拠はない。たとえ成功したとしても、ミサイルの信頼性を推定するには、何回かの(2回以下ということはない)実験が必要である。かりに1個か2個の核兵器を開発したとしても、そのような

貴重で数の限られたものを、信頼性の定かでないミサイルに搭載するようなことはせず、他の運搬手段用にとっておくだろう。と論じています。今回の実験の失敗は彼の予想を裏付けるものになりました。

  前回のテポドン1もそうでしたが、今回のテポドン2も北朝鮮は人工衛星を打ち上げる目的だと称しています。米国の優れた警戒・探知能力から、その軌道は熟知している筈ですから多分偽りないことと想います。だとすると日本が最近打ち上げた偵察衛星はマスコミが成功を賞賛し、北朝鮮の衛星打ち上げは非難するのは公正さに欠けると考えるのは間違っているのでしょうか。

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2006年9月21日 (木)

北朝鮮のミサイル(1)

 7月5日北朝鮮は午前3時32分から午前8時17分まで6発、やや間を置いて午後5時22分に7発目のミサイル発射実験をしました。発射順に番号で呼ぶことにします。多くの情報からの推測が「核兵器・核実験モニター」に整理されているのでそれを引用すると

順番  発射時間 飛行時間  飛行距離      種類

1  午前3:32   5分   500-510km    スカッドC

   午前4:04        600-620km     ノドン

3   午前4:59   2分   0.5-8.4km   テポドン2、テポドン3

4   午前7:13   5分  420-550km    スカッドC

5   午前7:31   5分  420-500km    スカッドC

6   午前8:17   7分  420-600km    新型X、スカッドER

7   午後5:22   7分  420-600km    新型X、スカッドER

3発目のテポドン型はムスダンリから発射されたが、ほかはすべてアンビョン(安辺)のキッテリョンから発射されています。落下地点(着弾というのは弾頭に爆弾を搭載していない以上故意に脅威をあおるもので使うべきでない。)は日本海の北端で、また飛行時間、飛行距離が短いのは高角度に発射して日本へのインパクトを避けたものと推測され、そのことは落下地点の船舶に警報が出されていた(この事実はなぜか報道されなかった。)事とあわせて考慮すべきではないか。もちろん政治的意図があることは明らかですが、同時に技術的な確認実験とミサイル輸出(イランなど)とのねらいがあったと想われます。少なくとも攻撃的意図を持った発射でなかったことは明白です。米国をはじめとして日本、韓国が発射間近だと待ち構えているのに攻撃目的のミサイルを発射する筈がありません。にもかかわらず安倍内閣官房長官や額賀防衛庁長官が敵基地攻撃論まで言い出し、マスコミや世論まで同調することの危険性にむしろ極めて脅威を感じます。

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2006年9月10日 (日)

イラン核開発問題

イラン核開発問題

 国際原子力機関報告書について

 イランのウラン濃縮は平和目的だけなく核兵器開発の意図をもつものと不信感をいだく欧米は、ウラン濃縮を止めさせるため、8月22日これを停止すれば①米国がイランとの直接交渉に参加する。②他国との共同事業による軽水炉建設など「包括的見返り案」を提示しました。しかしイランはこれを拒否しました。

  イランはOPECで第2位の産油国であり、レバノン情勢はヒズボラの予想外の武力抵抗でイスラエルが劣勢に立たされるなどもあって、アフマディネジャド大統領は危ない賭けに出ていると懸念する向きもあります。

  このような状況の中、イランが拒否して1週間も経たない8月31日に国際原子力機関(IAEA)の事務局長の「核不拡散条約(NPT)保障に対するイランイスラム共和国の協調」という報告書が公式発表されました。これによるとイランはかなり率直にIAEAに対して対応しています。たとえばウラン濃縮の遠心分離機164個の連結装置(cascade)を2006年6月23日から7月8日にかけて稼動し、ウラン235濃縮度5%(原子炉核燃料3%前後)を達成したこと、200年8月25日には約26トンのフッ化ウランを生産したことなどを明らかにしています。しかし一方で濃縮は今後も継続することを言明し、これはあくまで平和利用のためであり、NPT条約の規制にも違反していないことを強調しています。またIAEAの査察にも応じるとしています。またプルトニウムの汚染問題なども、過去の経緯を知らないと分りにくいので省略しますが、プルトニウムを生産しているという証拠はないと報告書はみとめています。

  この原子力機関の公式の報告書は結論として、イランが核兵器開発を意図しているということはいまの段階で証明する証拠はないが、今後も監視は続けるべきだとしています。

  この時期報告書が出された意義は大きいとおもいますが、ブッシュ政権が大量破壊兵器はないという、情報を無視して都合のよい情報のみを理由にイラク戦争に踏み切ったことを考えると、ブッシュ政権の対応には警戒が必要です。

  この報告書についての報道はまだ見ていませんが、プルトニウムに比べて核兵器技術としては容易なウラン原爆の原料、濃縮ウラン製造を意図していれば脅威を感じるという評論家もいます。しかし164機のカスケードで原爆用の60%濃縮度ウラン1個分を生産するのには10年以上かかるでしょう。数千機からなる超遠心機のカスケードが設置されれば脅威になりますが、現在は核兵器開発の脅威はないと言ってよいと想いますが、今後のイランの動向には警戒は欠かせないでしょう。 

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2006年8月21日 (月)

日米安保(その4)

核戦争の最前線基地日本

  1955年、米極東軍司令官マックスウェル・テイラー将軍が最初の『極東における核作戦に関する統一運用基準(SOP)』をまとめました。日本や極東の他の多くの場所に核兵器を貯蔵していることを示した始めての公式文書です。その後数次のSOPも示されていますが、もし本格的な戦略核戦争ともなれば、米ソ相互の破滅となることは明らかである。したがって戦術核をつかった、特定の地域での「限定核戦争」戦略を米国軍事戦略家たちは考えていました。欧州ではドイツ周辺、極東ではまさに日本、韓国です。

つまり米国本土から遠く離れた地域で戦術核、あるいは戦域核を使用する核戦争という、なんという虫の良い話でしょう。

いうなれば米国を守るための生贄、あるいは人質、それが核の傘に守られていると言う本当の意味合いです。

  

「限定核戦争」はSOPの内容の第二であって、第一は本格的な全面核戦争についての運用基準です。核戦争に欠かせないのは、米国が全世界に張り巡らせている指揮・警戒探知・情報システムです。その一環として日本は極東太平洋地域の最前線基地としてこの重要な機能を担っています。この機能は安保条約による日本全基地化によって(青森から沖縄まで)米軍の望むところに設置使用されています。このことはもし先制的核戦争を始めようとするとき、第一の攻撃の対象になるのがこれらのシステムであることは軍事専門家ならずとも理解できます。日本はこの危険性を負わされているのです。「日本は不沈空母だ」という呆れるほど間抜けな発言をした首相がいました。

   

  日本が安保条約によって守られているというのが、いかに誤ったことなのか、かっての米ソ冷戦時代に、この安全を保障しない安保条約のもとで事なきを得たのは全くの僥倖であったと思わざるをえません。

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2006年8月15日 (火)

日米安保(その3)

『国体』への執念

  70年代以降の人は文部省が1937年(昭和12年)に発行した国民教化のための出版物「国体の本義」を読まされ、古事記・日本書紀にもとづいて、国体の尊厳、天皇への絶対随順を説き、個人主義、自由主義を排撃する内容に覚えがあると思います。『国体』はその意味であり、ポツダム宣言受諾に躊躇して、ヒロシマ・ナガサキの惨劇を招いたのも国体護持が認められるか否かの問題でした。また米国の日本占領政策はそれを巧みに「利用」して行われたと見ても良いでしょう。これらの問題はまたいずれ書くとして、日米安保の問題に戻ります。

  安保条約成立過程については、高坂の吉田・ダレス・マッカ―サー三者会談によって、吉田が再軍備要求を『頑として断って、軽武装。経済重視の路線を確立』したというのに対して、豊下楢彦の論理に妥当性があると想います。それはアメリカ側の最大の獲得目標は日本の再軍備問題ではなく、前回に書いたように「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるだろうか?これが根本的な問題である」(ダレスの言葉)であり、朝鮮戦争によって苦境に立っていた米軍にとっては日本の基地の「自由使用」は「死活的な要素」でした。この意味で、米国務省ばかりではなくペンタゴンでさえ、日本との交渉においてアメリカ側が「きわめて弱い立場」にあることを認識していたのであり、吉田が基地提供カードを重要な「バーゲニング」の手段として駆使してくるであろうと危惧していたのです。 ところが吉田は交渉の冒頭から基地提供の意思を表明し、日本側が持ちえた貴重なカードを早々と放棄してしまったのです。自他ともに「外交センス」を誇る吉田がなぜこのように拙劣な交渉を行ったのか、理解に苦しむとしながらその背景に「天皇外交」の介在を推測するのです。注)豊下楢彦「安保条約の論理」

  

  77年米国の文書機密解除によって明らかになり、入江侍従長日記のよっても確認された、1947年9月22日付けの天皇メッセージには「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望している。」とあるのです。交渉に際して、忠節な吉田茂は天皇の意向を受けたであろうことは十分ありうることだと想います。

  

いまに至るまで禍根を残したことも重大ですが、47年5月3日、実施された日本国憲法に違反することも看過できない重要な問題です。周知のように憲法第一章天皇の第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。となっています。天皇メッセージは9月22日付けですから、これはまさに憲法違反の第一号になるのです。

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2006年8月 8日 (火)

日米安保(その2)

旧安保条約=対米従属の発端

 

 国家の将来のありようを決める重要な日米安全保障条約が、「すべての責任は自分が負う」という、吉田茂首相ひとりの署名によって講和条約調印当日、署名成立しました。しかもその内容は独立国としては到底容認できないものでした。

前文には「日本国は武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。・・・・日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及び付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」「アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意志がある。」これを受けて「第一条[駐留軍の使用目的]平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」とあります。

独立国家としては国際通念として考えられない外国軍の駐留を認め、あまつさえ内乱状況の際に外国軍の干渉を依頼する信じがたい卑屈な条約です。その後の日本政府の対米従属の発端となったのです。

 

 アメリカは講和後も占領期と同様に、日本の「全土基地化」の権利を如何にすれば獲得できるかが最大の課題でした。東西冷戦の高まる中、在日米軍基地は「極東防衛」のためばかりでなく、「ヨーロッパで戦争が勃発する際の対ソ攻撃作戦の拠点として位置づけられていました。政府高官の言う「アメリカの安全を維持する死活的な資産である。」のです。

 講和使節団のダレスが東京会談に臨むにあたって、最大の悩みは恐らく易々とは承服しないであろう米軍基地の存続を認めさせることにあったといいます。そのためにマッカーサーには交渉のための手段や日本側の助けになる人選を相談したということです。ところが意外にも事態は予想もしない結果になりました。日米安保条約が如実に示すように、攻守逆転し少々の米側に不利益があっても、一部でも日本に米軍基地を残す積りだったのが、日本に懇願されて米軍基地をおいてやろうということになったのです。  その経緯は次に書きます。

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